酔耀会 平成30年3月14日
【はじめに】
上肢のしびれと肩甲骨内側の痛みを訴えた症例に対し、鍼灸治療をおこない著明な改善を認めたので報告する。
【症例】
63才 男性 初診日 2月13日
【主訴】:左上腕後面と左第5指のしびれ感、左肩甲骨内側の疼痛(安静時痛)
【現病歴】
2月1日:除雪作業中に左肩甲骨内側の違和感が出現。そのまま除雪作業を継続していた。
2月11日:症状増悪
2月12日:夜間も疼痛のため覚醒
2月13日:初診
【症状】
左第5指しびれ感、左上腕部後面(肘のやや上)、左肩甲骨内側の疼痛(安静時痛)
【理学所見】
ジャクソン・スパーリング(―)上肢腱反射(+)筋力低下(-)病的反射(-)
モーリー(+)肘後面から第5指のしびれ感増強
ライト・アレンテスト(施行せず)
【病態把握】
2月13日~17日(初診~第5診)菱形筋等の筋性疼痛 肩甲骨内側へ低周波・手技療法
2月19日(第5診)~胸郭出口症候群(斜角筋部)(以下TOS)
【治療】2月19日以降
中斜角筋腹2カ所 1寸5番・C7・TH1傍脊柱部2カ所 1寸3分2番パルス通電15分
【経過~結果】
2/20(第6診) 疼痛軽減、しびれ感は残存
2/24(第8診)今までで一番楽な状態、肩甲骨内側痛(-)第5指しびれ感軽度(+)
2/26(第9診) 夕方肩甲骨内に違和感出現も今朝は(-)しびれ感(-)
3/6(第11診) 症状(-)のため略治
【考察】
絞扼性神経障害とは「末梢神経が靱帯、筋起始部の腱性アーチや繊維骨性トンネルなどの下を通過する部位で、慢性的に機会刺激を受け、神経障害を生じるもの」であるとされている。
東大整形外科末梢神経外来を訪れた新患数297名(1986年~1990年)
肩甲上神経麻痺 8例 肘部管症候群 84例
後骨間神経麻痺 14例 尺骨管症候群 7例
円回内筋症候群 7例 知覚異常性大腿痛 2例
前骨間神経麻痺 11例 総腓骨神経麻痺 1例
手根管症候群 151例 足根管症候群 12例
絞扼性神経障害を起こすと、その末梢神経が純知覚神経であっても混合神経であっても、患者は最初にその神経の支配領域にしびれ感を訴える。多くの統計で90%以上の患者がしびれ感を主訴としている。絞扼障害のしびれ感が増強すると痛みという感覚が加わる。これは末梢神経の圧迫、阻血によってまず触覚に関係がある太い有髄神経が機能を失った後、痛覚を司る細い繊維(C繊維)からの刺激だけが高位中枢へ伝達されるためである。
さて従来の整形外科学では明確な所見がない場合は神経由来の疼痛と考える傾向にあったように思う。その一方で疼痛の多くは筋・筋膜性由来ではないかとしてきたのが、いわゆるトリガーポイントに代表されるようなグループである。
ここで問題になるのが両者の偏りである。
一方は筋・筋膜性疼痛は軽視し、逆にトリガーポイントグループは絞扼性神経障害という病態を否定するという偏りである。
トリガーポイントグループ側からすると仮に絞扼性神経障害が存在するのであれば、その病態の否定はすなわち不正確な病態把握につながる。
しかしながら現在いわれている絞扼性神経障害をすべて受け入れることは困難である。筋性疼痛を軽視している点、病態の存在自体がいまだ議論されているという点、なぜ知覚神経繊維のみが障害され運動神経が障害されないか?という点からである。※絞扼性神経障害の紹介では手根管や肘部管が最初に、しかも根拠をもって詳細に紹介されているものの、その他は根拠にとぼしいものもあるようである。
そこで本症例はTOSとしたものの、斜角筋トリガーポイントからの関連痛の可能性(筋・筋膜性疼痛)はなかったのかを考えてみた。
☆TOSの特徴を以下に紹介する。
【TOSの分類】Wilbourn (1988)
1 血管型
○動脈性 全患者の1~2% 男女同頻度、頚肋による鎖骨下動脈の圧迫に基因多し。
軽症型 上肢の外転、外旋により阻血症状が出現するにとどまる。
○静脈性 全患者の5~8% 鎖骨下筋の肥厚などにより鎖骨下静脈に血栓が生じ、 手の痛み、浮腫を生じる
2 神経型
○真性 頚肋や第7頸椎横突起、繊維束による腕神経叢の牽引によるもの。100万人に
1人。
○擬性 全患者の85~97%を占める。しかしその病因、病態、臨床像、診断基準、治
療法などすべてが確定せず、議論の的
疼痛領域は上肢尺側(C8/T1領域が多い)
※解剖学DVD 10min前後参照
他覚的知覚異常・運動麻痺
〈誘発試験〉
Wright・Adson・Eden・Roos
Morleyなど
※胸郭出口症候群における理学検査の信頼性
―脈管テストと神経刺激テストの感度と特異度― 別紙参照
診断的価値が少ないものもある。そもそも血管性はまれ。
~鍼灸治療~
絞扼部位の除去(原因筋の緊張緩和)
神経血流の改善(末梢神経刺激・神経根刺激・交感神経ブロック)
☆斜角筋の筋・筋膜性疼痛の特徴を以下に紹介する。
疼痛領域は上肢橈側
上腕と首を落ち着きなく動かす。
首の反対側への側屈は少なくとも30°は制限。
同側の回旋は最終域可動域でのみ誘発される。
肩甲骨上角のすぐ内側の疼痛の多く。
上腕部の上半分をさすりながら肩の痛みを訴える。
斜角筋痙攣試験・斜角筋緩和試験・指屈曲試験などがある。
C:斜角筋緩和試験
多くは2~3分以内に症状が緩和
頸椎症性神経根症では不変
A:正常B:総指伸筋の一部、示指伸筋C:総指伸筋←斜角筋トリガーポイント
これらを参考にすると本症例は第5指(C8領域)のしびれ感、モーリーテストで(+)であることなどからTOS(斜角筋部での絞扼)と判断したのは妥当であろう。ただし鑑別するための理学所見のすべてを聴取していないのでトリガー鍼灸師に突っ込まれるポイントだろう・・・
初診~第4診までは肩甲骨内側の筋群および傍脊柱部(上部胸椎)の筋性疼痛として治療をおこなった。夜間痛の軽減および睡眠が可能になったため経過観察するも、しびれや日中の疼痛は変化がなかったことから、第5診より病態をTOSによるものと変更し、鍼灸治療を開始した。翌日には顕著に症状の軽減を認めたため、それ以降同様の治療を継続した。
治療部位の設定においては頚部の自覚的疼痛は(―)であったものの傍脊柱部C6~C7に圧痛が存在したことから斜角筋部と傍脊柱部(原因筋の除去および神経根血流改善)に選択したことも結果として功を奏したようである。この時点ではTOSなのかトリガーポイントの関連痛なのかを自身で不明確ながら所見に対して鍼灸治療をおこなっていたものの
いわば偶然にも絞扼性神経障害に対処できてしまい、症状が消失してしまったものといえる。
さてそもそもTOSに限らず、筋性疼痛と絞扼性神経障害との鑑別は初診段階では臨床上困難な場合が多いともいえる。先述した理学所見も両者に陽性とでる可能性も否定できない(モーリー、斜角筋緩和試験など)からである。
それではなぜ絞扼性神経障害と筋性疼痛とを可能な限り鑑別する必要性があるのであろうか?それは臨床の場においては基本的でかつ教科書通りの症状を呈する患者はむしろまれであり、さまざまな症状が混在するなかにおいてそれをどのように紐解き、その過程のなかでどう対処していくかが臨床だからである。混在した症状の中でどの症状、所見が神経性なのか筋性なのかその他なのかを見極めて対処することがすなわち治療効果の増大につながる。
そこで絞扼性神経障害の治療において考慮に入れるべきなのはMultiple crush syndrome という概念である。※別紙参照。
この概念を取り入れることで、限られた時間のなかで焦点をあてるべき部位が広がるのではないであろうか?
事実、本症例以降に来院された同様の患者に対して、これまで以上の明確な治療計画を立てることが出来しかも短時間で、より効果的な鍼灸治療が可能になったように感じる。
これらのことから絞扼性神経障害の臨床上のポイントは以下のように考える。
1. しびれが初発であれば疑っても良い。
2. 疼痛領域がトリガーポイント関連痛と重なる場合は当該筋肉もチェックする。
3. 当該神経の近位・遠位の絞扼、神経根部まで焦点をひろげてチェックする。
4. 絞扼性神経障害には筋性の問題も含んでいる可能性が高いので、それぞれチェックすし対応すべき。
5. 筋性疼痛についても詳細に学ぶべきである。
※不適応疾患~神経根症状との鑑別等、絞扼性神経障害と判断に至るまでの過程は省略。
TOSに対しては丁寧に観察し、複合された症状に対して適切に対処していけばさほど難しくない疾患でもあるように思う。しかし我々に求められているのは、より短期間に治癒あるいは改善し、効果の持続時間はより長く、治療院での拘束時間は短く、しかも適正価格であることが今後生き残るためには必要な要件である。今後ますます増加するであろうTOS患者に対し、今回の発表で少しでも上記の用件に近づけることができる一助になれば幸いである。
【さいごに】
トリガー鍼灸師が絞扼性神経障害を紹介したことに実は意味がある!と勝手に思った。